さんじょーのブログ

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ノマドワーカーの雑多なブログです。

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親バカ、孫バカ、幸せにどっぷり浸かる人は無意識に人を傷つける

ぼやき、どうでもいい話

親バカ、妹(弟)ばか、孫バカ、と呼ばれるように、誰かに対しての愛情が強すぎる状態の人は見ていてなんだか怖いです。

反射的に不快感を感じます。

幸せ自慢は無神経

単にうらやましいだけ?などと思ったりもしましたが、その人たちの境遇に自分がなりたいか?と言われれば、なりたくないのです。

 

つまり妬む要素がないのに、なぜ不快なのか?ちょっと考えてみました。

 

なぜ不快感を感じるのかというと、自分の幸せ、愛情の感情にどっぷり浸かっている人は、周囲に対し、とんでもなく無神経で鈍感な状態になりがちだからです。

 

自分の幸せにしか目がいかない人は視野が狭く無神経

極端に例えると、目の前にストリートチルドレンが寒さにふるえていても、まるで見えない。

自分の孫がかわいい、自分のパートナーが素敵、自分は恵まれている、という自分中心の快の感情が視界を盲目的にしてしまうのです。

 

落ち込んでいる人の横で平気で幸せ自慢をしたり、家族を亡くした人へ平気で満面の笑みの家族写真を送りつけたり・・。結構ありがちじゃないですか?


自分が幸せだからいい、自分が幸せだから見てみて!という感じです。

 

私は自分がどんなに幸せでも、相手が困難な状況にいる時にのろけ話なんてできないです。そっと幸せを楽しみます。

 

親バカ、孫バカ、○○バカの人ってそんな感じで、見ていてちょっと怖いんです。

 

自分のまわりのごく狭い範囲の幸せだけを虫眼鏡で見ながら歩いている、ような感じです。こちらが気をつけていないと、うっかり衝突されます。

 

自分がよければいい、自分が幸せならいい、というのは悪いことではありません。人として素直で当たり前の感情です。

 

でも、幸せバカになってる時って、極端に思いやりのない態度をとっていることがあります。

 

幸せイメージの押し売り テレビCM

テレビのCMを観ていてもいつも思うんです。

 

家族団欒のCM.親子がわきあいあいと家族っていいね、となごんでいるCM。

 

こんなCM、震災で親を亡くした子が見たらどんな気持ちになるんだろう?

息子や娘を亡くした人は?離婚したばかりの人は?

 

きっと胸にチクリときてしまうだろう。悲しい気持ちになるだろうな、と。

 

幸せな人は誰に遠慮せずに、幸せを享受していいと思います。でも、その幸せ故の盲目さで人を傷つけたり、思いやりがなくなることってやはりあると思います。

 

それが孫バカ、親バカ、などの人たちを見ていて感じることです。


自分とごく身近な人たちが幸せだから、あとはどうでもいいや、人が困っていようがどうでもいいや、幸せのイメージを押しつけちゃおう!という感じが嫌いです。

 

人前で幸せをひけらかすのは無神経 

以前、古い友人に久々に会った時の話です。

 

その友人は親に虐待され、施設に預けられて育ちました。

社会人になり、結婚し、子供を産んだのですが、旦那さんのDVにより離婚したばかりでした。彼女は他に身よりもおらず、収入も今夜の寝床を探すだけで精一杯のギリギリの状態でした。

 

彼女は私に、今はどうしてるの?いい彼氏できた?(´・∀・)と聞きました。

 

私は本当は、プロポーズされた、と彼女に話そうと思っていましたが、言えませんでした。彼女が哀れだから、という理由ではないです。彼女は大変な状況でそれでも、今も前向きに生きています。

 

でも、やっぱり言わないほうがいいと思いました。

 

その感情は私が幸せという感情溺れ、盲目じゃなかったから、冷静だったから判断できたことだと思います。

 

もし、あの時私が幸せバカだったら、彼女の状況を無視して、「いや~今超幸せなんだよね♪彼氏からもプロポーズされて♪まぁ結婚願望は今のとこないんだけど(・´з`・)」

なんて言っていたかもしれません。

 

私は幸せは十分感じていきたいです。

でも自分が幸せだからといって、人の痛みや不遇に対して鈍感で無神経な態度はとりたくない。

 

本当につらい時、最後の支えの言葉をかけることができる人は、相手の状況まで共感し冷静に判断できる状態の人だけだと思います。

 

少なくとも、誰かの調子のいい言葉や、他人の幸せ自慢でないことは確かです。


人は調子のいい時、幸せな時程無神経で思いやりのない行動をとりがちです。

 

普通に暮らしているように見えて、ギリギリでなんとか生きてる人もいる

私はよく人に悩み事を相談されることがあります。

 

たまに言われるのが、

「私には親も兄弟もいなくて、味方になってくれる友人も親戚もいません。頼れる人は誰もいないんです。三条さんに聞いて頂けるだけで救わるし、心強いです(´ω`)」と。

 

普段明るく、普通に過ごしているように見える人でも、ギリギリの状態でなんとか毎日生きることだけで精一杯という人は案外多いんですよ。

 

私はそんな人達の声に鈍感になる位なら、幸せバカにはなりたくないです。

 

幸せなのはいいけれど、自分達だけよければいい、という感覚は嫌いです。

 

日本人の個人の寄付率は他の先進国よりも圧倒的に低い

話が少しそれますが、日本ってアメリカやヨーロッパに比べて一般人の寄付率がすごく低いんです。


お金持ちも、普通の家庭も、自分と自分の家族、親戚止まりの援助、活動にとどまりがち、という印象があります。

 

はじめからそれ以外の方向へ視野が広がっていない、ということなのではないでしょうか。

もちろん、そうでない人達もたくさんいらっっしゃるでしょう。

 

でも、もう少しだけ、自分と自分の家族以外の範囲にも、貢献や愛情を向けて考えてみるという傾向が強くなってもいいのではないでしょうか。


自分が、自分の子が、自分の親が、自分のパートナーが・・!という範囲内しか視野に入らないことはすごく即物的で独善的な姿勢だと感じます。

 

自分が幸せな時程、他の人のことや社会ついて考える余裕を持てるチャンスです。

 

せっかくの幸せ状態を受け取ったら、反対の状態にある人のことも配慮する余裕を持ちたいです。

 

話がまとまらずいつも以上にグダグダになりました(;´Д`)読み苦しくてスミマセン。