さんじょーのブログ

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ノマドワーカーの雑多なブログです。

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「人の役に立ちなさい、人を喜ばせなさい」という教えは欺瞞だと思う。【共依存、過労死の原因】

私は、今まで学校や大人達がよく言ってきた

  • 人の役に立ちなさい
  • 人を喜ばせなさい
  • 人を導いてあげなさい

という教えは欺瞞であり、傲慢だと思っています。

この教えを真に受けたため、共依存や鬱病、過労死といった悲劇的な事態に陥る人が後を絶たないのだと考えています。

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「人の役に立ちなさい」という教えは冷徹

まず、他人を喜ばせなければいけない、他人の役に立たなければいけない=そうでなければ自分には価値はない(働かざる者食うべからず)という教えには、愛を全く感じられません。

博愛精神があるように見えて、実は冷徹な見方だと思います。

人は人の背中から学ぶ

人が他人から何かを学べる時は、相手がこちらに向かって説得したり、口頭で何かを伝えてくるような時ではないと思うのです。

言葉で説明したり、説得しなくても、人は他人の行動を案外よく観察しているものです。

私は子供の頃から大人や教師、友人が私に何かを諭してきたり、アドバイスしてきても、さっぱり心に響きませんでした。

そのかわり、自分がいいな、すごいな、気になるな、と感じた人の行動や言動をよく観察していました。

それは身近にいる人であったり、本の著者や偉人の行動や言動であったりましたが。

とにかく他人の行動や生き方を見ながら、ひたすら参考にさせてもらった、という経験がほとんどです。

今でも直接人にアドバイスを求めることはほとんどありませんが(技術的なテクニック等については教えを拝聴することもある)、気になる発言や行動をしている人、魅力的だな、と感じる人はベンチマークをして参考にさせて頂いています。

行動で語るタイプの人の特徴

何か改革を起したい時も、言葉で伝えるものいいですが、実際にすでに行動に移している人の背中を見て「こういう道もあるんだ!できるんだ!こういうのもアリなんだ!」という気づきや勇気を貰えます。

そんな風に背中で無意識に人に教えているタイプの人は、人を喜ばせようとか、人の役にたとう!という意識で動いていることは少ないのではないでしょうか。

ただ自分がやりたいから、興味があるから、希望を感じるから・・という純粋で素直な動機だと思います。

義務意識からくる親切には見返りがセットになる

他者に向けて何かを働きかけるために・・というスタンスになると、喜ばせなければ、納得させなければ、役にたたなければ・・!という義務意識が生じ、何か嘘くさい雰囲気がにじみ出てしまいます。

その結果、搾取されている気分が増大し、見返りを求めはじめたり、自由に振る舞う人に腹を立てたりしやすいのではないでしょうか。

また、我慢をしすぎて鬱病や過労死、といった悲劇的な事態に陥ることも少なくありません。

仕事上のサービスとしてやる分にはいいですが、プライベートでもそのスタンスでいるのは少し危険な気がします。

何か役に立たなければ、人に喜ばれる人間にならなくては・・自分には価値がない。という強迫観念に追われ、完璧主義で心に余裕のない人が増えると感じます。

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 他人のために自分がいる、というスタンスは、逆に言うと他人も自分のためにいる、という傲慢な考えに繋がります。

他人に過度に期待したり、過度に他人の期待に応えようとする価値観は、そろそろ手放していい頃ではないでしょうか。

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正直に生きれば、結果的に人の役に立てる

何かを他人にしてあげることもよりも、正直に、自分らしく生きた方が結果的に他人のためになると思います。

他人にブレーキをかけたり、アクセルを踏ませようと他人の人生ばかりに干渉している人よりも、

他人がやりたくてもなかなかできないことを大胆にやってしまったり、他人が思いつかないアイデアを実行し、選択肢を広げるてくれる人の方が、結果的に他人の役に立てる可能性は高いです。

困っている人に手を差し伸べる時や、誰かのために何かをしてあげたい、と思う時も、相手からの印象を気にしてする人は、心のどこかに、人を喜ばせて、見返りを求める、というスタンスが感じられます。

見返りを求める、相手に特定のリアクションを期待してとる親切は、嫌らしいですし、押しつけがましくて迷惑だと感じることの方が多いです。

そういうものは金銭との交換契約である、ビジネスの範囲ですることではないでしょうか。 

親や学校からの教えは大嘘だらけ+時代遅れ

これからは、親や学校で教わったことを社会で生かすことよりも、教わったことの嘘に気づくことの方が重要だと思っています。

支配者にとって都合のいい理屈を作りあげるための大義は、必ずしも個人の幸福を保証してくれるものではないと感じます。

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おまけ:「時代遅れ」が致命傷になると思う理由

ちなみに私はよく時代遅れ、と毒づきますが、時代遅れでいることは単なる趣味、趣向の範疇の問題に留まらない重大な欠陥だと思っています。

時代遅れは、すでに社会のフレームワークやルール、受け皿が変化しているのに、そこに合わせられないものを無理やり合わせ込もうとする行動であり、必ず摩擦が生じます。

ブラック企業での過労死、自殺問題やいじめ問題なども、時代遅れな価値観、ルールを何としても現代に持ち越してやろう!という一部の年配者や支配者達の老害が原因でもあります。

市場原理が働いているマスコミに操作されたPRの流行に踊らされるのは、アホっぽいです。

しかし社会のパラダイムや価値観の時代感はある程度は抑えておかないと、人生を歩む上で、深刻なトラブルになりかねないのではないでしょうか。