さんじょーのブログ

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ノマドワーカーの雑多なブログです。ブログのコメント欄を表示してみました。ブログ運営法など、ご遠慮なくご質問ください(・∀・)荒らしや嫌がらせが増えたら閉鎖する予定です。 どんなメッセージも大歓迎ですが、幼稚な感情論はしたくないので、建設的なご意見のみお返事させて頂きます☆彡

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「女性らしさ」「男性らしさ」は個人レベルでバランスさせるもの。異性に求めると共依存になりやすい。

近年「女性は強くなった」「男勝りになりぎて、女性らしさが失われている」と嘆く意見を耳にします。

確かに女性が仕事を持つようになりにつれ、ビジネスで活躍するための主体性や決断力等、男性っぽい素質が不可欠になるので仕方のないことだと思います。

しかし、私は女性らしさ、男性らしさ自体、もともと性によって定められたものではなく、文化的慣習により作られた既成概念に過ぎないと考えています。

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女性らしさ、男性らしさの押し付け合い 

女らしさ、男らしさ、の押し付け合いが今まで人々を苦しめ、さまざまな悲劇や苦難をもたらしてきた歴史を忘れてはいけないと思います。

ジェンダー規範の撤廃は、女性解放運動のように、女性達が自ら立ち上がり、多くの犠牲を払いながら獲得してきた権利です。

女性性と男性性は個人レベルでバランスさせるもの

女性らしさ、男性らしさを異性に求めるのではなく、両方の性質を自分の中でバランスさせることが愛のある行動だと私は考えています。

強さと優しさ、独立心と包容力は一人の人間の中で内包できます。

これまでは、政治的、文化的思想やシステムの背景から、それらが分離され、男は強さ、女は優しさのみ!という風に両極端の要素しか持たないのがよし!とされてきた風潮があります。

そのため、自分の中で育てることのできなかった要素を異性に求め(時には押し付け)補足することでバランスをとる、という依存的なスタンスになりがちです。

男女間の賃金格差の原因はジェンダー規範だと思う

日本の男女間の賃金格差は先進国の中でトップですし、女性の社会進出はかなり遅れている印象があります。

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そのため、今だにジェンダー規範を女性、男性に押し付ける風潮もあり、現代で、自分らしく生きようとしている人達を不快な気持ちにさせていることも多いと感じます。

男女の関係が共依存になりやすい

経済力のない女性×家事能力のない男性というように、男女の関係が共依存的になりやすいのも、戦時中のようなカビ臭いジェンダー規範の影響が今に残っているからだと思います。

 

もちろん、そのような関係でお互いに幸せならば何も問題ありません。幸せのカタチに決まりはありせんし、双方が幸せならそれが最高にベストな関係だと思います。

 

ただ、依存度が高い生活をしていると、関係の質が変わってきた時に、打つ手がなくなる、というリスクが高いです。

パートナーの愛が途絶えないように、男性にすがるしかないという心細さ、生活能力がなく、女性を召使いのように家に置き、身の回りの世話をしてもらいたがる男性・・

どちらも相手を支配、依存することにより自分の生活を成り立たせようという共依存的な要素を感じてしまいます。 

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自分の中で、女性性と男性性を適度にバランスさせらるようになれば、相手に「~らしさ」を押し付けることはありませんし、過度に依存することもありません。

一対一で人間として、相手の個性を尊重し合える関係になれると思います。

日本の親子関係も共依存的な傾向が強い

例えば、大人同士の判断の上で決めているのに、交際や結婚の際に両親に報告でなく「許し」を得るのは違和感を感じます。

親が成人した子供を自分の所有物のように思っているか、半人前で信頼していないか、どちらかだと思います。

その他にも、子どもの就職に口を挟んだり、一人暮らしの息子や娘の部屋を親が掃除しにきたり・・双方とも精神的に子離れも親離れもできていない印象を持ちます。

 

もちろん、親を大切にすることは素晴らしいことです。

しかし、大切にする=判断や決断の主導権を親に預ける、親を喜ばせるために何でもする、ということとは違うと思います。それはまるで「いい子にしてママの愛情を惹きつけたい子供」のような印象を抱きます。

親の支配権を終了させると同時に、今度は子どもが親を自由にし、見守る、というスタンスの方が健全ではないでしょうか。

このような親子の共依存的な関係性が、夫婦の共依存的な関係にスライドしているような気がします。

文化的慣習が作りあげた理想像に個性はない

女性らしさ、男性らしさは、もともと生物学上の特質などではなく、文化的慣習が作りあげた虚構の理想像です。

一人一人見ていくと、男勝りな女性も多いし、女性のように繊細で優しい男性も多く存在します。性別をそのままジェンダー規範に当てはめることはできないのです。

女性の権利が認められ、男女間の賃金格差がなくなりつつある、今、このようなジェンダー規範の押し付けは、行政レベルで撤廃してもいい頃だと感じます。

女性にとってチャンスの時代

男性の賃金が下がってきたことは、女性達にとっては逆にチャンスです。

相手次第で振り回される経済的依存生活から、自分主体で選択できる経済的自立へと踏み出し、精神的、肉体的拘束から解放されましょう。

 

そうすれば、愛がないのに、生活のためにいつまでも結婚生活を続ける必要はなくなりますし、恋もできます。(恋愛に卒業年齢があるのはおかしいと思います)

女性が独立し、精神的にも経済的にも自由になれば、離婚すること=失敗、悪いこと、何か問題がある、という偏見もなくなってくると思います。

 

離婚は我慢が足りない!などと責める人は、自分達が苦労したから同じように人にも苦労させたいだけです。

先輩にいびられたから、後輩にも同じことをするのと同じです。

本当にその人のことを尊重していれば、その人がその人らしく、幸せに生きられる選択を認めるはずです。(お子さんにとっても、虐げられている親よりも、イキイキ頑張っている親の姿を見せた方が精神衛生上いいかと思います)

形だけで存続させる関係を維持し、静かに絶望しながら過ごす人生で、後悔しないでしょうか?

不確実性を嫌い、型にはめたがる国民性

ホフステード指数という国ごとの文化的特性を数値化した基準があります。

日本は不確実性回避の傾向(UAI)の高さが顕著であることが指摘されています。

つまり、固定し、変わらずに続く確実性を重視し、失敗を避け、減点方式で絶対に安全と思われる型を作り込むことが大好きなのです。(たとえ不可能であっても)

また個人の欲求や好奇心よりも、義務を優先する風潮も強いです。

 

この傾向が男女間の明確な役割分担意識、固定されたジェンダー規範がなかなか変化しない要因になっている気がします。

不確実性と向き合うことを前提にし、自分にも相手にも固定された役割や関係を求める傾向を和らげる勇気を持つことも、必要ではないでしょうか。

それにはやはり、個人レベルでの自立が必要になります。

人間関係に「~べき論」はない

私は親子関係とはこうあるべき!夫婦関係とはこうあるべき!というべき論を押し付けるつもりはありませんし、お互いにそれで満足で幸せならいいと思います。

ただ、そういったやり方で不幸だと感じたり、どちらかがスラストレーションを抱える場合は、今まで社会規範がそうだったから、という理由だけでその規範に従う必要はないと感じます。

その際、こういう視点で客観的に関係性を見つめることで、何が問題なのか把握しやすくなると思います。

「 金時飴」のような異性は素敵ですか?

私なら、男性らしさよりも、その人らしさ、と付き合いたいです。

用意された押し付けのジェンダー規範で、人の個性が抑圧されてしまうのはもったいのないことだと思います。

まとめ

ジェンダー規範をなくすために打ち出す私の方針は以下の通りです。

「サザエさん」「ちびまる子ちゃん」「クレヨンしんちゃん」を放送終了にし、時代に合うポスト国民的アニメの確立。

人々の価値観やシステムが変わるのは、大体40年サイクルと言われています。

30年も40年も前のパラダイムで描かれたアニメが、今だに柱になっているのは違和感しかありません。

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若者のテレビ離れが起きつつある今こそ、番組内容にも改革が必要なのではないでしょうか。

☆ちなみに私はクレヨンしんちゃんが大好きです。ちびまる子ちゃんもサザさんも原作マンガを愛読していました。素晴らしい作品です。

ただ、そろそろこれらの作品を超える、ポスト国民的お茶の間アニメが確立されてもいい頃だと感じます。