さんじょーのブログ

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ノマドワーカーの雑多なブログです。

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「芸能人、寛容論:テレビの中のわだかまり」を読みました。感想など。

先日本屋さんで偶然見かけパラパラとめくった途端、引き込まれたこちらの本↓

私は普段、ほとんどテレビを観ないし、芸能人をネタにしたワイドショーや週刊誌にも手を伸ばしません。(全く興味がないので)

しかしこの本は面白い。

面白すぎるんです(∩´∀`)∩

著者である武田砂鉄さんの、鋭く、ユーモアとウィットに富んだ独自の視点での切り口が絶妙です。「こういう視点があったか!」という気づきと笑い。

 

そして「どこかでそんな風に感じてはいたけれど、そこまで把握しきれてなかった」という部分まで届く、深い洞察力に驚かされます。

私が感想を書くよりも少しだけ引用させて頂いたほうが、本の面白さが伝わると思います↓

やっぱりEXILEと向き合えないアナタへ 

安定供給されすぎて食傷気味のマイルドヤンキー論や地方都市考察の代名詞にEXILEを登場させるのはテッパンだが、

あの軍団の野心はそもそもディスカッションをするテーブルには着かずに、エアロバイクを漕いで漕いで、筋肉をつけまくること一義に根を張っているわけで、

考えれば考える程、考えた側の一方通行になり、筋力に乏しいこちらはたちまち疲れ果ててしまう。

 

以下略

「集団、族、Tribe 」の肝は「外からは何も言わせねぇよ感」にあってそれが限られた縦社会の身体性だけで育まれていく以上、突っ込む手段を持てないのである。

EXILE ALL NIGHT LONG PERFECT BOX/EXILE mobile・ミュゥモショップ・GREE・ライブ会場限定商品

EXILEには暴力の臭いがせず、団としての確固たる存在感があり、その「団」に史上最高の厚みを持たせたという点が彼らのエンターティメント集団としての特徴であり、ブランドである、との解説。

また最近話題になったアドラー心理学の「他者に嫌われることを恐れない。他人の欲望に応えない」というスタンスとは真逆であることも示唆しています。

 

最後は、やや失礼な印象も受けるしめくくり方ですが、新鮮で面白い視点だと思います。

 

私もEXILEのことはあまり詳しくないのですが、偶然観たドキュメンタリー番組でボーカルのATSUSHIさんが活動休止前に喉を酷使して大変な状態でコンサートに臨んでいる姿を拝見しました。

 

始めは「この暑苦しい連中は、なんだ?(´-ω-`)」という先入観が確かにあったけれど、その番組で覆された感があります。

これも、本の内容の「バラエティーに出ると、実はいい人?ギャップ萌え」というものでしょうか(;´д`)(もろろんATSUSHIさんは好感度ありきで苦しんでいたわけではないです)

EXILEへの私の印象を軽率に表現すると、EXILEの印象よりも、コンサート時のファンの質疑に度肝を抜かれた、という衝撃の方が大きいです。

EXILE自体は好きでも嫌いでもないですが、コンサート会場へ行くのは少し勇気がいるかな~という印象です(;´∀`)>スミマセン

ファシズム化する石原さとみの唇

彼女はあらゆるCMで、ぶりっ子な振る舞いを強要されている。

その強要をキャッチできるのは「テレビをつけっぱなしにしている人」だけだが、次々と投じられるぶりっ子が、つけっぱなしで弛緩しているこちらを捉えようと積極的に試みてくる。

 

中略

石原さとみのCMはこうして、画面の前にいる「あなた」に向かって話しかけてくる。

大雑把な評論を躊躇せずに漏らせば、どことなくA〇的なのである。

タイムシフト視聴ではこれらの石原の声かけが見えてこない。

その声かけをその都度受け止めているわけではない。

もはや石原さとみはサブリミナル化している。こちらの意識ではなく、潜在意識を刺激しているという疑い。放送倫理的には本来アウトだ。

 

と石原さとみさんが起用されているCMの特徴(直接テレビの前のあなたに話しかける調)が流し観の視聴者の潜在意識レベルに無意識に働きかけている、ということです(笑)

さらに、石原はさとみさんのチャームポイントであるぽってりとした唇について、

「ぽってり唇=女らしい」ていうテーゼってこれ程までに市民権を得ていたであろうか?

初期の石原さとみは太い眉が売りだったが、いつしか唇ぽってりが売となり、ぽってりっぷりが、これまたサブリミナルに、女性の魅力を推し量る部位として、ぐいぐい押し上げられている。

以下略

唇業界が「唇こそ女性のセクシー」を仕組み、そこには石原さとみという絶好のアイコンが用意されていたのではないか。

と推測されています(笑)

最後はマイナンバー制度の政府広報CMに上戸彩ではなく、石原さとみを起用すれば、広告業界の仕込んだ「サブリミナル効果」によりかなり成功したのではないかと結論づけています。

単に人気がありすぎるだけだと思うのですが(;´∀`)

こういう視点からの見方もユーモアがありとても面白いです。 

神木隆之介くんの好印象が果てしない

子役は成長し、大人びてくるだけで周囲の大人達に「なんか、違う。かわいくなくなった」という理不尽な理由でお払い箱にされることが多い中、

神木隆之介くんは今までに前例のないパターンで好感度を維持し、安定の人気を保っているということが詳しい理由とともに書かれています。

 

俳優が自分の出演している映画を身銭を切って映画館へ観に行くことは多いですが、それが著者いわく、「お客さん目線に寄り添う庶民感覚を忘れていない自分アピール」に使われていることもしばしばあると思う、とのこと。(若干、深読みしすぎ感があるかと思いますが(;´д`))

 

対して、神木隆之介くんは自分の出演した映画を、見る地域を変えて、5回も観に行ったというエピソードを語っている点に注目。

 

神木くん⇒「川崎の人はここで笑うのかとか渋谷の人はここで笑うのか」と各地での反応を比較しては、笑う場面が地域によって違うのに気づいた」

 

これは「身銭きって庶民目線な私」とは一線を画す。

 

以下略

男性子役の場合、えなりかずきという成長例があるが、あの成長例は凡庸性に欠ける。

彼の場合、大人が用意した道よりも先んじて大人として仕上がってしまい、ズボンはツタックに限る、ポロシャツはズボンにインするのが基本、というスタンスを早々に提示してきたものだから前例にはならなかった。

 

と子役から大人へ、人気を下げないまま移行した「えなり型」というスタイルがあるが 、えなり型は青年期をすっ飛ばし、早すぎる大人化という特異なコースをたどらなければならないため、他の子役達にはなかなか真似できない、とのこと。

 

自立心を発露しながら、打ちどころを処理すると、それもまたあらたな打ちどころとして設定されるから難しい。

だからこそ、「えなり型」のようにキャラクターを突出させざるえなくなるわけだが、「えなり型」はえなりにしか使えない。

「違反にならない範囲で暴れる」という選択は賢明で、神木は用意された道を歩きながら、既存と新基軸の双方をコントロールし、誠実さでグレードアップしてきた。

 

そして子役の鈴木福くんについても、彼の将来なりたい仕事から、「えなり型」の素質を感じるが、神木型で進むべきではないか?と提案されています。

(ちなみに内山信二型もスタンバイしているがあまりオススメできないとのこと(;´∀`)なぜ)

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などなど。

きわどい点はあるけれど、悪意は感じられない

各芸能人の方のファンの人にとっては、ところどころカチンとくる部分もあるかもしれませんが、よくあるネットの稚拙な悪口などとは違い、非常にエンターティメント性に富んだ考察がなされています。

まとめ

この本を社会科学、哲学書のコーナー置いた書店員さんのセンスはさすがだと思います。

哲学や社会学が好きな方は楽しめるのはないかと思います。

もうお亡くなりになりましたが、「ナンシー関」さんを思い出しました。クスっと笑えて楽しめることは間違いないです。

 

ただやはり、カチンときてしまう部分もあるかと思いますので、特定の芸能人のファンの方は読むか、読まないか、慎重にご判断されたほうがいいかもしれません(;´・ω・)