さんじょーのブログ

さんじょーのブログ

ノマドワーカーの雑多なブログです。

スポンサードリンク

完璧主義は条件付きの愛情への復讐。完璧主義の人は感謝が薄い場合が多い。

完璧主義って立派ですか?

完璧主義と聞くと、仕事でも私生活でもストイックに努力を重ね、自分に厳しい人(大抵他人にも鬼厳しい)というイメージがあります。

 

私は完璧主義の人を見ると、内面に強い復讐心のようなものを感じてしまいます。

「本当はありのままの自分を認めて欲しかった、ありのままの自分を受け入れて欲しった、自分らしさを愛して欲しかった・・!」という強い悲しみ、怒り、焦燥感のような、余裕のない心的状態を感じます。

f:id:nomado67:20170902062829j:plain

完璧を目指すキッカケ:減点評価、報酬主義

生まれてすぐに「日々昨日の自分を超えていきたいと思いますっ!(`・ω・´)キリッ」というストイックな精神を持つ人はいないですよね。

大抵成長の過程で、周囲の人に「おまえはアレ足りない、これができないとダメ、お友達の〇〇ちゃんに比べて〇〇ができない、だからダメな子!」

という比較による減点評価を受けながら育つことがキッカケになります。

 

自分には足りないものが沢山ある。だからそれを頑張って補わなければ、親や周囲の人に愛して貰えない!((((;゚;Д;゚)))

という危機意識(生存本能)が根源となって、足りない部分を補う、成長しなければいけない!という完璧さへの追求、へ舵を取るのだと感じます。

その原動力は強力な恐怖心と劣等感です。

完璧でありたい=完璧でない自分を再認識

皮肉なことに、完璧を目指す度に自分には何かが欠けている、と暗示をかけているようなもので、完璧な人間を目指せば目指す程、劣等感も比例して増えていく、というまさに劣等スライド式の努力が完璧主義の本質だと思います。

 

しかし先程書いたように、根本には、ありのままの自分らしさを認めて欲しい、無条件の愛が欲しい(かった)という恨み悲しみと、完璧であらなければ見捨てられる、バカにされる、という恐怖が完璧主義の本質です。

そのため、完璧主義の人はいくらストイックに頑張り、非の打ちどころがないように見えても「なんだか、かわいそう」に見えてしまいます。

実は自分もそうだったので気持ちがよくわかるのです(;´・ω・)

完璧主義に陥ると、人への感謝も薄くなりがち

自分には厳しいけれど、他人にはそれを押し付けない!という美学をお持ちの方もいらっしゃると思います。

しかし、それでもやはり感謝が薄い人が多い印象です。

それは、今の自分が無事に過ごせているのは、他人からの自分への甘やかしがあったからだ、ということをなかなか認められないからです。

「人に甘やかされてきた!?冗談じゃない!自分は賢明に努力を重ね、自立して頑張ってきたんだ!ε-(=`ω´=)」

と思うかもしれませんが、そういう人はまずいないでしょう。

グレーゾーン許容度=思いやり

大抵は、本人のダメダメな部分や、足りない部分を誰から「まぁいいか、しょうがないなぁ( ´,_ゝ`)」という気持ちで見逃されてきたり、サポートして貰ってきたはずです。

それなのに完璧ばかりを目指すと、さも自分の能力のみで今の環境や生活を維持できている!と全能感からくるおごり意識に捕らわれがちです。

 

自分にも厳しく、他人にも完璧主義を押し付ける人は、タチが悪すぎるので論外ですが、他人には甘い人であっても、自分も他人に甘やかされていることを忘れてはいけないと感じます。

それが道徳的に立派ということではなく、全能感に捕らわれ、感謝がなくなると、完璧主義の人が一番欲しがっていた、(無条件の)他人からの愛情がすでにあった、ということに気づけなくなるからです。

まとめ

完璧主義を貫くのは人それぞれの美学で自由ですが、それで苦しい場合は、根本に

「無条件で存在してもいい、という許可を貰えなかったことへの復讐心や劣等感があり、無条件の愛情を求めて続けている自分」

がもしかしたら隠れているのかも?と一度、振り返ってあげることも大事だと思います。

ちなみに仕事や研究等の分野で完璧を目指すのは、探究心が中心であれば健全だと思います。

完璧でなければ自分が無価値だと感じてしまうのであれば、かなり不健全な状態で生きていると思います。

完璧でなければ自分は無価値だという認識に、いつまでも正当性を与え続けている自分自身の思い込みこそ、撲滅すべき敵の正体です。

マナーや教育のため、しつけを行うのは必要なことだと思います↓が 

www.nomado67.com

同時に、まず自分も人も、無条件で存在する価値があること、を愛情深く教えてあげることも大事かと思います。

 

たとえ比較、減点評価的な雰囲気の家庭で育たなくても、学校でガッチリやられますので多くの人が劣等スライド式の完璧主義に苦しんでしまうのも理解できます。

www.nomado67.com

そもそも学校は個人の幸福よりも、国策にふさわしい人材を育成することに重きを置いていますので、仕方がないです。(現在は社会の受け皿が変わってきたので(機械化による労働条件の変化)平均化、従順さよりも、創造性、思考力に重きを置き始めたようです)

 

私なら優しい声で「〇〇な部分をもっと治したほうがいいよ。もっと頑張ろう!」と諭してくれる人よりも、ブチ切れながら「自分を大事にしろ!」と言ってくれる人の方を信用します(´・ω・)